ロマンスは昭和の遺産なのか?
「ぼくは恋に落ちた」
恋しているとか、相手が愛おしくてたまらないとか言葉にするとなんだか古めかしくて恥ずかしくなります。
江戸時代だろうが、昭和だろうが、平成だろうがこの先もずっと人は恋に悩むのだろうけどなぜだろう。
先日、山田詠美著 ジェントルマンを読みました。中学生の頃から高校にかけて夢中で読んだ作家です。
ゲイの主人公と、彼が愛するノンケの同級生を中心とした切なくて残酷なお話し。
山田詠美らしく、読み手が物語に入っていける鮮明な情景描写、話しが話しだけに、なんだろう、見てはいけないものをこっそり覗いている気分になりました。
Twitterや女子会なんてワードが出てくるから時代は平成、今なのだろうけど大正とか昭和の香りがしました。それは、自分が恋に恋したり、切なくなったのが遠い昔、昭和の頃だったからなのだろうか?それとも、山田詠美の言葉選びのせいなのだろうか。
それとも、平成には情緒的ロマンスはないのだろうか?
内容紹介
眉目秀麗、文武両道にして完璧な優しさを持つ青年、漱太郎。しかしある嵐の日、同級生の夢生はその悪魔のような本性を垣間見る――。天性のエゴイストの善悪も弁えぬ振る舞いに魅入られた夢生は、漱太郎の罪を知るただ一人の存在として、彼を愛し守り抜くと誓う。切なくも残酷な究極のピカレスク恋愛小説
いつの時代になっても、恋する、恋できる女でいられますように。